病院の窓口で「交通事故は健康保険が使えません」と言われることがあります。仕事中と通勤中のけがを除けば、これは正しくありません。協会けんぽは「業務上や通勤災害によるものでなければ、健康保険を使って治療を受けることができます」と書いていて、横浜市の国民健康保険のページも「交通事故や傷害事件など、第三者(加害者)から傷害を受けた場合でも、国民健康保険で治療が受けられます」としています。ただし健康保険を使うなら、加入している保険者へ「第三者行為による傷病届」を出す義務があります。
出す先は加入先で決まります。まず自分の保険証やマイナ保険証の資格情報を見て、保険者の名前を確かめてください。協会けんぽなら加入している都道府県支部、市区町村の国民健康保険なら区役所・市役所の国保の窓口が提出先です。
使えないのは、仕事中と通勤中のけが
使えない場合は、この二つに限られます。業務上のけがと通勤災害は労災保険の扱いで、健康保険は使えません。配送や外回りの運転中、通勤途中の自転車や歩行中の事故はこちらに入ります。
迷いやすいのは通勤の寄り道です。経路を外れていた時間のけがは通勤災害にならないことがあり、どこで線が引かれるかは別に書いています。勤務中や通勤中のけがなら、出す先は保険者ではなく労働基準監督署です。事故の時刻と向かっていた場所を、先に会社と確認してください。
届出は、お願いではなく決まっている
健康保険法施行規則第65条は、療養の給付や入院時食事療養費などの事由が第三者の行為によって生じたときは、被保険者は「遅滞なく、次に掲げる事項を記載した届書を保険者に提出しなければならない」と定めています。書く内容は条文で三つに決まっています。
- 届出に係る事実
- 第三者の氏名及び住所又は居所(氏名又は住所若しくは居所が明らかでないときは、その旨)
- 被害の状況
なぜ必要なのかは、お金の流れを見ると分かります。けがの治療費は本来、加害者が負担するものです。健康保険を使うと、保険者がその分を立て替える形になります。健康保険法第57条は、保険給付を行った保険者が、その給付の価額の限度で、被害者が第三者に対して持つ損害賠償請求権を取得すると定めています。協会けんぽ愛媛支部は「あとで加害者に請求(求償権の代位取得)することになります」「この請求に必要な事項を確認する書類が『第三者の行為等による傷病届』となります」と説明しています。
書類の名前は、加入先で違う
協会けんぽと市区町村の国民健康保険では、挙げている書類の名前がそろっていません。他の加入先向けの説明を見て「そんな書類は渡されていない」と戸惑いやすいところです。
| 協会けんぽ | 横浜市の国民健康保険 |
|---|---|
| 第三者行為による傷病届 | 第三者の行為による傷病届 |
| 事故発生状況報告書 | 事故発生状況報告書 |
| 同意書 | 念書(兼同意書) |
| 人身事故証明書入手不能理由書 | 人身事故証明書入手不能理由書 |
| 交通事故証明書 | 事実申立書 |
横浜市のページには「必要な書類は事故の状況等によって異なります」という注記があります。全部そろえてから連絡するのではなく、先に窓口へ電話して自分の事故で要るものを聞いたほうが早く済みます。
協会けんぽの同意書では、示談するときは事前に報告すること、白紙委任状を渡さないこと、金品を受け取ったときは必ず報告することに同意を求められます。署名する前に、この三つは読んでおいてください。
交通事故証明書は、警察に届けていないと出ない
交通事故証明書を出すのは自動車安全運転センターで、申請できるのは交通事故の加害者、被害者、そして「交通事故証明書の交付を受けることについて、正当な利益のある方(例:損害賠償の請求権のある親族、保険金の受取人等)」です。
- 申請の方法は三つ。ゆうちょ銀行・郵便局での払込み、センター事務所の窓口、センターのサイトからの申込み
- 交付手数料は1通につき1,000円(消費税非課税)。インターネット申請ではこのほかに払込手数料が1通につき143円
- 申請してから手元に届くまで10日程度
- 「警察への届出のない事故については交通事故証明書の発行はできません」
保存期間にも区切りがあります。人身事故は事故発生から5年、物件事故は3年を経過したものは原則として交付されません。古い事故の分を後から取り寄せるつもりなら、発生日から何年たっているかを先に数えてください。
その場では痛みがなく物件事故として処理され、あとで通院が始まる例があります。この場合、人身事故としての記載がないため交通事故証明書だけでは足りません。そこを埋める書類が、協会けんぽと横浜市の双方に用意されている「人身事故証明書入手不能理由書」です。
示談を急ぐと、治療費が自分の負担になる
ここが一番金額の大きい分かれ目です。健康保険法第57条第2項は、保険給付を受ける権利を有する者が第三者から同一の事由について損害賠償を受けたときは、保険者は「その価額の限度において、保険給付を行う責めを免れる」と定めています。先に賠償金を受け取ると、その範囲で健康保険の給付がなくなるという意味です。
協会けんぽ愛媛支部は、起こることを二つに分けて書いています。
- 健康保険で治療を受けている間に示談が成立し、「被害者が治療費用を含む賠償金を受け取った場合には、その日以降、健康保険で治療を受けられなくなります」
- 「『健康保険で治療を受けているから医療費はいらない』といった示談をした場合、医療費の損害賠償請求を放棄したことになり、協会けんぽが立て替えている医療費を加害者に請求できなくなることから、医療費全額について被害者の自己負担となります」
二つ目は、治療費を請求しない代わりに他の名目で早く解決しようとしたときに起きます。横浜市も「示談をしてしまうと、その示談の内容が優先されるため、国民健康保険で立て替えた医療費を加害者に請求できなくなる場合がありますから、示談は慎重にしてください」としています。
順番としては、治療が終わるまで示談書に署名せず、署名する前に加入先の保険者へ連絡します。協会けんぽの同意書で同意を求められるのも、この内容です。
自賠責の120万円は、治療費も慰謝料も同じ枠
相手の自賠責保険で処理するか健康保険を使うかで迷ったときは、自賠責の枠の作りを先に見てください。
国土交通省の案内では、自賠責保険・共済の支払限度額は傷害による損害が被害者1人につき120万円です。この120万円に含まれるのは、治療費、看護料、諸雑費、通院交通費、義肢等の費用、診断書等の費用、交通事故証明書などの文書料、休業損害、そして慰謝料です。治療費と休業損害と慰謝料が別枠ではなく、同じ120万円を分け合います。治療が長引いて治療費が膨らむと、休業損害や慰謝料に残る分が減ります。
後遺障害による損害と死亡による損害は別の枠で、後遺障害は介護を要する場合が常時介護4,000万円・随時介護3,000万円、その他が第1級3,000万円から第14級75万円、死亡による損害は被害者1人につき3,000万円です。
どちらが有利かは、自分の過失の割合と治療の見込みで変わります。相手の保険会社の説明だけで決めず、加入先の保険者にも同じ事故の内容を伝えて確認してください。
届け出なくても、保険者から原因を聞かれる
届出をしないまま進めても、そのまま終わるわけではありません。協会けんぽ宮城支部は「毎月被保険者様へ負傷の原因を照会しております」として、けがで保険証を使った場合に負傷原因の照会文書を送っていることを案内しています。
案内では「照会文書が届いた際は速やかに協会けんぽへご返送ください」と求められています。第三者の行為によるけがだと分かれば、そこから第三者行為の届出に進みます。自分で先に出すか、照会を受けてから出すかの違いにすぎません。
相手のいない自損事故は第三者行為ではないので、この届出の対象にはなりません。それでも負傷原因の照会は届くことがあるので、転んだ、ぶつけたといった原因をそのまま書いて返します。
いま手元でできること
- 保険証かマイナ保険証の資格情報で、保険者の名前を確かめる(協会けんぽか、健保組合か、市区町村の国民健康保険か)
- 事故の時刻と向かっていた場所を書き出し、仕事中・通勤中に当たらないかを会社と確認する
- 加入先に電話し、自分の事故で必要な書類を聞く。病院で健康保険が使えないと言われている場合はそれも伝える
- 警察に届けているかを確認する。届けていれば交通事故証明書を申請する(1通1,000円、届くまで10日程度)
- 示談の話が出ていても、治療が終わるまで署名しない
この記事で確かめていないこと
医療機関が健康保険の使用に応じないとき、保険者がどこまで関わるかは、今回開いた公式ページには書かれていませんでした。示談のあとで健康保険が使えるかどうかも示談の内容によって変わるため、個別の判断は加入先に確認が必要です。会社ごとの健康保険組合については、様式の名前と提出先が組合ごとに違い、今回は確認していません。
参考資料
- 協会けんぽ「事故にあったとき(第三者行為による傷病届等について)」
- 協会けんぽ愛媛支部「健康保険を使用してケガの治療をするとき」
- 協会けんぽ宮城支部「ケガで保険証を使用した場合の負傷原因照会について」
- e-Gov法令検索「健康保険法施行規則」第65条、「健康保険法」第57条・第116条・第117条
- 横浜市「交通事故にあった時は」(国民健康保険)
- 自動車安全運転センター「交通事故に関する証明書 申請方法」
- 国土交通省「自賠責保険・共済の限度額と補償内容」